SNSをはじめて、震災、事件や事故からの定期的な喚起が出てくることが新聞やニュースより多いと感じます。
特に地下鉄サリン事件については日刊新聞をとっていないせいか、3月のネットニュースでは目に入らないのですが、SNSでは医療現場でどうだったか?という内容の記事がポストされています。あのときから29年たっています。
医療現場では食中毒などはありますが、日常では化学テロとは無縁でいます。化学兵器を利用したテロをケミカルテロリズムというそうです。サリン事件を始め、日本でも起きうる化学テロについてテーマにします。
今回は化学テロって?と疑問符が付く方向けになります。
1995年3月20日地下鉄サリン事件 どこで何をしていましたか?
あの当時は父、自分は電車通勤、通学でした。以前は地下鉄を利用したのは姉で、当時は通学はありませんでした。あのサリンの事件は姉が日によっては利用していた路線、時間帯でした。たまたまあの日だっただけで、違う日だったら被害にあったのは姉だったかもしれません。無差別テロはターゲットは誰でもいいので自分だってあなただって被害者になる可能性があります。
医療者側の視点 日野原重明医師の活躍
2017年に日野原重明先生は105歳で永眠されています。自分の中では恐れながらも朝日新聞のコラム「あるがまゝ行く」で高齢の医師としての認識でした。地下鉄サリン事件では聖路加国際病院の院長をされており、陣頭指揮をとっておられたことを今回再度認識しました。
誰が指揮をするか?いままた事件が起きて、迅速に640人を診療し110名の入院の対応をとれるか?私がこれまでいた病院では難しいと思います。指揮系統、人材、機材、空間・場所が揃わないと大混乱です。当時は最良の人、場所、物が揃っていて、それは災害時への対応を事前にしていたからできたことでもあると思いました。それでもこの事件では14名が犠牲となっていました。
〔1995年〕3月20日午前8時半、幹部会の会議中に消防署から地下鉄での大爆発事故があったとの報が当院救急センターに届き、8時40分には院内放送で救急センターへ医師集合の要請がなされた。私がセンターに降りた時、多数の医師が既に救急患者を迎えに入っていたが、相続く救急車の患者搬送をみて、私はここで多数の患者の入院に対応するために陣頭指揮をした。救急センターの配置医は3名の心肺機能停止患者の蘇生処置に専念していたので、櫻井〔健司〕副院長には患者の振り分け(トリアージ)の指揮を命じ、専任事務職をつけ、外来診療は中止の掲示を出し、麻酔のかかった手術患者を除く予定手術の中止指令を出した。
三上〔隆三〕副院長と、井部〔俊子〕副院長(看護部長)には、続々入院する患者の病棟受け入れ方指揮の責任をとってもらった。松井〔征男〕副院長には、瞳孔縮小を招くガス中毒の原因、これへの医療処置の方針作成を指示した。大生〔定義〕神経内科医長は、早速中毒原因追究のため図書室に走った。最初はアセトニトリル検出が報じられたが、10時頃に自衛隊中央病院青木〔晃〕医師ほか医師1名、看護婦3名の応援があり、サリン中毒を強く疑う情報を提供され、信州大学付属病院の柳澤信夫院長からサリン中毒支持の電話があり、その後、松本市でのサリン中毒の対応処置書がFAXで送られてきた。サリン中毒と判明の直後、院内治療方針マニュアルが作成・配布され、患者が不安にならぬよう「ミニかわら版」が配られた。午後5時には東京都から40台の仮ベッドが貸与された。看護には勤務明けを含めて、日勤ナースおよび看護助手、ならびに看護大学教職および学生が参加した。
第1日目の収容患者総数は640名、そのうち110名が入院した。
当院は、医師129名、レジデント36名、看護婦477名、看護助手68名、ボランティア平均1日30名の多数の人員を持つ。この事件が始業時刻に一致して起こったことで、救援人員に不足はなかった。
また、本院の構造は災害時への対応が考えられての病院設計であり、スペースが広い上に、礼拝堂、ラウンジ、廊下の壁の中にも酸素や吸引用の配管がなされていたことが、災害時に役立ったといえよう。
日野原重明 聖路加国際病院サリン患者診療報告会 日本医事新報 https://www.jmedj.co.jp/page/hinohara_paper02/
この事件によって化学兵器によるテロの怖さが世間に広く知れ渡りました。そして化学兵器による無差別テロ事件は世界で初めてというのは実は日本の1994年6月27日に発生した松本サリン事件だとのことです。
松本サリン事件では原因がすぐわからなかった(6/27追加)
信濃毎日新聞デジタル「松本サリン事件とは 発生から30年、オウム真理教が長野県松本市で犯行に及んだ動機や実行犯のその後」(https://www.shinmai.co.jp/news/article/SHEX2024062400004027)より事件の詳細を引用します。
- 当初教団が狙っていたのは、長野地裁松本支部。しかし当日、到着が遅れて地裁松本支部の閉庁時間を過ぎたため予定を変更し、裁判所の宿舎を目標とした。宿舎は駐車場から30メートルほどだった。
- 1994年6月27日深夜、松本市の住宅街でオウム真理教の幹部らが猛毒の化学物質「サリン」をまいた。死者は8人、重軽傷者はおよそ600人
- 動機は判決が迫っていた訴訟の妨害
- 当初はガスの正体は分からず、県警がサリンだと発表したのは発生から6日後の7月3日。
- 翌1995年3月20日朝、東京都内の地下鉄でサリンがまかれる地下鉄サリン事件が発生すると、警視庁などは2日後に教団の強制捜査に着手。6月には松本サリン事件も教団の犯行と断定した。捜査の過程で、サリンと松本サリン事件で使用した噴霧車は上九一色村の教団施設で製造していたことが明らかになった。
松本サリン事件が教団による組織的な犯行と断定されたことで、信濃毎日新聞は第一通報者の男性と家族らへの「おわび」を掲載した。
この事件では第一通報者の方が被害者にもかかわらず容疑者扱いされ、その配偶者はサリン中毒で意識不明のまま2008年に亡くなられてます。サリンの印象より被害者を加害者扱いした事件として記憶に強く残っています。
サリンとは?
1902年ドイツで神経剤の毒ガスとして開発された有機リン化合物である。アセチルコリンエステラーゼ作用を阻する。無色、無臭の液体で神経剤の中では最も気化しやすい。非常に作用が速く、吸入曝露、皮膚曝露、経口摂取によって、全身症状を呈する。酸または酸性溶液と接触すると、フッ化水素を遊離する。また、加熱すると刺激性のフューム(フッ化物、リンの酸化物)を遊離し、肺水腫を引き起こす。下記の症状の右へ行くほど重症である。縮瞳→鼻汁→気管支痙攣→分泌亢進→呼吸障害→痙攣→呼吸停止。二次汚染を防ぐため、未除染の患者や物品と直接接する者は防護を怠ってはならない(レベルC防護装備が必要)。
化学剤データベース chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://mhlw-grants.niph.go.jp/system/files/2018/183061/201826023A_upload/201826023A0020.pdf
ケミカルテロリズムとは?
もし起きた場合にはどうしたらいいか?日頃から我々は何か異常事態が起きた時にはそれが意図しておきたもの、テロだとは気づかないと思います。
災害医療センターからの下記引用ですが、ケミカルテロは化学物質次第では対応が困難でとにかく離れるのみだとのこと。ただ目の前で人が倒れたら、一時救命処置としてその人を安全な場所に移動させる、助けを呼ぶと習ってきており、人道的にも逃げる選択にはならないと思います。
化学兵器としての化学物質は非常に純度が高く致死性が高いため一般の人はまず助かりません。米軍などは兵士が解毒剤を携帯しその場で注射をするようです。オウム真理教の事件では純度の低いものが使われたためあの程度の被害だったようです。一般の人がこの様なテロに遭遇した場合、とにかく出来るだけ早くその場を離れることです。治療は化学物質が特定されないと解毒剤は使用できません。原因物質がわからないと臨床症状のみから判断せざるを得なく非常に治療が困難になります。万一何か飲んだり食べた場合はすぐ吐いて下さい。その際ビニール袋等に吐いて吐瀉物を持って病院に行けば毒物の特定が早く行えることがあります。
災害医療センター https://saigai.hosp.go.jp/disaster/chemi.html
2017年マレーシアにて猛毒「VXガス」で死亡事件
化学兵器の恐ろしさを認識したニュースとしては北朝鮮の金正恩の異母兄の金正男さんがクアラルンプールの国際空港で死亡した事件です。
顔にぬられたのは猛毒の「VXガス」でした。はじめは空港内のクリニックに徒歩で向かい、クリニック内で痙攣、意識を消失し、気管内挿管を受けていますが、救急車搬送中に心配停止となっています。
故人を狙った犯行ですが、無差別テロにも使用される可能性があり、オウム真理教の事件でも使用がされていました。
VXガスとは?
・透明の琥珀色をした油のような液体。味やにおいはない。
・化学兵器の中でも最も猛毒で、皮膚に一滴落ちるだけで死亡する可能性がある。数分で死に至ることもある。
・皮膚などから浸透し、神経伝達を阻害して死に至らせる。
・スプレーや蒸気で拡散したり、水や食べ物、農産物を汚染することで攻撃に使われる可能性がある。
・吸い込んだり、口から摂取することで体に吸収されるほか、皮膚や目から入り込む。
・蒸気が衣服に付いてから約30分間残るため周囲の人にも影響を及ぼす。
・軽度の接触の場合、鼻水、目の痛み、不明瞭な視界、よだれや過度の発汗、胸の圧迫感、激しい息、尿意、意識障害、眠気、脱力、吐き気、嘔吐の症状が出る。
・正式な化学名は、S-2ジイソプロピルアミノエチル・メチルホスホノチオラートで、1993年に署名された化学兵器禁止条約で使用が禁止されている。
BBC News Japan :https://www.bbc.com/japanese/39073567
1998年和歌山毒物カレー事件
夏まつりで提供されたカレーに亜ヒ酸が混入され、カレーを食べた4名が死亡されています。当初は青酸カリと考えられ、違う治療がされましたが、山内博医師がのちに原因をヒ素と特定しています。これも無差別のテロといえ、化学テロに該当します。
1998年7月25日、夕刻、和歌山市園部地区の公園にて開催された夏祭りにて提供されたカレーライスを食した住民67名に、原因不明の嘔気・嘔吐、腹痛、コレラ様の強い下痢などの消化器症状が発症しました。そして、4名が半日以内に死亡し、63名が生存しました。最初は食中毒、その後、シアン中毒が疑われたが中毒の原因は特定されませんでした。中毒が発生した時期、山内(当時、聖マリアンナ医科大学予防医学・助教授、米国メリーランド州立大学医学部大学院毒物学・客員教授)は米国での国際会議に参加していました。和歌山市にてシアン中毒で4名死亡の情報は、帰国の航空機内で読んだ新聞記事にて知りました。しかし、カレーライスを食しシアン中毒で死亡との情報は毒物学の経験から瞬時に間違いであると理解しました。なぜなら、シアン化合物には強い刺激性があり、カレーライスをたやすく人々が食することは不可能であるからです。
https://www.marianna-u.ac.jp/houjin/academic/20210107.html
帰国後、厚生省(現 厚生労働省)から中毒の原因解明に関する要請が自宅にあり、翌朝、元学長の長谷川和夫先生の許可を頂き、和歌山市中央保健所へ向かったのは、中毒発生9日目のことでした。現地での情報収集と数名の患者の尿を確保し、当日の深夜に大学に戻りました。早速、予防医学教室に設置していた独自開発した超低温(液体窒素)捕集―還元帰化―原子吸光光度計を用いて、患者の尿中ヒ素について化学形態および濃度を測定しました。患者の尿からは極めて異常のヒ素が検出され、その濃度は一般人に比較して300−500倍でした。この検査値と消化器症状から急性ヒ素中毒であることが判断でき、厚生省に報告しました。中毒発生10日目において急性ヒ素中毒であると正式に確定されました。予防医学教室は、その後、患者対応に3ヶ月間の支援を行いました。事件当時、我が国にはヒトの生体試料中のヒ素について、化学形態とその濃度を測定できる技術や知識は私一人で、また、国際的にも数名の研究者のみが同様な技術を保有していました。
ヒ素とは?
青酸カリとは異なり、無味無臭のため食事への混入から毒殺にも用いられる可能性があります。
一般にヒ素とよんでいますが、正しくは三酸化二ヒ素(亜ヒ酸ともいい、化学式はAs2O3と表される)が毒薬の正体です。この化合物は水に溶け易く、無味無臭という点で、ほとんど気づかず嚥下してしまう恐ろしさがあります。
https://www.kahaku.go.jp/research/researcher/my_research/geology/matsubara/index_vol2.html
化学兵器は周囲、医療者にも及ぶ
サリン、VXガスなどの化学兵器は被災者を対応する救急隊員や医療スタッフにも二次被害を及ぼしたりしています。
避難訓練や地震、火事への院内、院外の訓練は病院ではありますが、化学テロを想定した訓練というのは受けたとがありません。今回対応の資料を探していて、日本中毒センター( https://www.j-poison-ic.jp/ )で化学テロに関する動画(https://www.j-poison-ic.jp/disaster/webseminar1/)、データベースの提供があります。
我々医療者も通常のマスク、手袋などの装備では太刀打ちができないと思います。日常と非日常が混在することを念頭に、有事に食中毒かな?から化学テロかな?と少しでも想起する必要があると思います。
電車の通勤、夏祭りのカレー、日常の1コマもテロによってその日常が奪われる可能性があります。
被害者にも、その救護者にもなる可能性があり、日ごろから注意して、想定しておかなければいけないなと思い、今回国内の化学テロを中心に振り返ってみました。
事件を風化させず、国内外の事件事象にも目を向けていきたいです。