先日医師の立場としては歯科的問題で訴訟があり和解成立というニュースを耳にしました。
医者となって15年以上、患者さんが歯が痛いとって口腔内の診察をしたことはあるものの、歯科受診をと説明をしたりコンサルトをしたり、自分が診断・治療をしたことがありません。
歯科診察を医師ができるのか?疑問を持つ方向けになります。
問題の医療事故について
医療事故の経過の詳細はわからず、福井新聞の記事を転載します。もともと下唇の損傷と歯の問題のみで救急車で搬送されたのか、何か事故などで搬送されたのかはわかりません。
10代で救急車利用ということで、タクシーや自家用車で自分で受診はできなかったのか、救急搬送が必要なのか、当直医へは歯の問題は告げていなかったのかなど疑問が湧きました。
福井県の敦賀市立敦賀病院は5月28日、昨年6月に前歯2本が脱落して受診した若狭町の10代男性に対し、当直医が折損と誤って診断し、自歯を元に戻す再植治療ができなくなる医療事故があったと発表した。男性側に損害賠償金67万5千円を支払うことで和解が成立し、6月定例市会に関連議案を提案する。
男性は時間外に救急搬送され、当直の内科医の診察を受けた。脱落した前歯を保存に適した牛乳に沈めた状態で持参していたが、内科医は十分に確認せず、折損と診断したという。また、男性は下唇にも傷があり、出血状態から縫合するのが適切だったものの、内科医は経過観察とした。
男性は帰宅後も唇の出血が続き、翌日に敦賀市外の病院で下唇を縫合した。前歯の診察も受け、この際に歯を再植できた可能性を伝えられたという。
再発防止策として、歯科や口腔外科の専門医以外でも適切に治療できるよう救急マニュアルを見直した。同病院は、新井院長と診療部長を厳重注意とした。
福井新聞 https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/2049262
病院の当直体制、救急外来対応はどうなってるか?ドラマのイメージは3次救急です
みなさんがイメージする救急とはドラマのER、救命病棟24時、コードブルーなどで専門の救急科の医師が活躍する場所と想起するのでしょうか?実際にはこのドラマは主に三次救急、重篤で命に係わる重症な患者さんを対応する救命センターでの話になります。
では重篤重症ではない救急は?
入院が必要になる可能性がある重症な患者さんは二次救急で、軽症の患者さんは一次救急で対応するとなります。
二次救急、一次救急は合わせて病院で救急当番を決めて、救急医ではない内科や外科などの様々な医師が対応します。専門ではない診療の場合ははじめに対応し、自宅で待機しているオンコール、宅直医に電話相談して来院して対応してもらうこともあります。
そして当直制度は病院規模でさまざまで、救急車、救急外来はその疾患、症状に応じて病院の各科当直が対応するケースが多いと思います。また大まかに内科系、外科系の当直と2体制、最低2名の当直がある場合と全科当直といって医師1名がすべてを対応するケースもあります。その全科当直といっても消化器内科、整形外科、皮膚科などの専門医になりますので対応が一様ではありません。救急外来では重症で入院が必要か、すぐに治療が必要か、専門の病院へ転院が必要か、入院の必要がなければ翌日以降にその専門科に受診をしてもらうのが役割と考えます。
医師は正当な事由がなければ診療拒否ができない
厚生労働省HPより医師の応召義務 「医療を取り巻く状況の変化等を踏まえた医師法の応召義務の解釈についての研究」中間整理から転載します。
医師法第19条に、いわゆる医師の応召義務(※)が規定されており、診療に従事する医師は、正当な事由がなければ患者からの診療の求めを拒んではならないとされている。
<参考>医師法(昭和23年法律第201号)(抄)第19条 診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。(文言上の解釈)・「診療に従事する医師」とは、自宅開業の医師、病院勤務の医師等公衆又は特定多数人に対して診療に従事することを明示している医師をいう。・「診察治療の求があった場合」とは、初診に限定されず、診察中・入院中等に診察治療の求めがあった場合をすべて含む。求める方法も限定されず、医師にその意思が伝達されれば足りる。(注:初診のみで診療継続中の患者は対象に含まれないとの学説あり)
・「正当な事由」については、以下の行政解釈が示されている。
何が「正当な事由」であるかは、それぞれの具体的な場合において社会通念上健全と認められる道徳的な判断によるべきものと解される。(昭和24年9月10日付医発第752号厚生省医務局長通知)
<本通知で「正当な事由」に該当しないとされた例>
・ 医業報酬が不払であっても直ちにこれを理由として診療を拒むことはできない。
・ 診療時間を制限している場合であっても、これを理由として急施を要する患者の診療を拒むことは許されない。
・ 特定の場所に勤務する人々のみの診療に従事する医師も、緊急の治療を要する患者がある場合、その近辺に他の診療に従事する医師がいない場合には、診療の求めに応じなければならない。
・ 天候の不良等も事実上往診が不可能な場合を除き「正当な事由」には該当しない。
・ 標榜する診療科名以外の診療科に属する疾病の診療を求められた場合も、患者が了承する場合は一応正当な理由と認め得るが、了承せず診療を求めるときは、応急の措置その他できるだけの範囲のことをしなければならない。
※ 前置きとして、患者に与えるべき必要かつ十分な診療とは医学的にみて適正なものをいうのであって、入院を必要としない者を入院させる必要は当然ないことにも言及。
医師の応召義務について chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000357058.pdf
これを見ると救急対応の医師が大変ということがわかりますよね・・・正当な事由に該当しないものが多い。不払いの患者の診療もしなければならない、専門外でも患者がよいといえば診療をしてできる範囲のことをしなければならない。医師の働き方改革、労働時間についても問題視されていますが、この応召義務で対応せざるを得ないケース、医師が困るケースは現に出ています。
今回のケースは歯科診療はできなくても受診希望される場合、よくわからないので歯科受診をしてくださいと言えば訴訟にはならなかったのか?またそういっても怒る患者さんもいるでしょうし、難しいところです。特に夜間の救急外来を一人で対応する内科当直医に細やかにすべての説明を求めるのはなかなか不可能に近いのではと考えます。
歯の脱落とは?
歯の脱落は脱臼というそうです。北足立歯科学会HPより歯の脱臼の説明を転載します。
歯の脱臼とは 外力によって、歯を骨(歯槽骨)に固定している組織(歯根膜)が断裂することを歯の脱臼と言います。脱臼には歯が骨から完全に離れて、抜け落ちてしまう(脱落)ような完全脱臼から、一部の歯根膜が断裂しただけの不完全脱臼までさまざまな脱臼の状況があります。
再植歯のその後
脱落後十分以内に処置を行った場合、歯根膜が生着し、ほぼ本来の寿命で残る確率が高いと言われています。抜けた歯を再植するまでに乾燥状態で一時間以上放置すると、歯根膜が死んでしまいます。このような歯を再植した場合は、歯と歯槽骨が直接くっつき、歯根は根の先より次第に吸収が起こり、数年で歯の頭だけとなり、抜け落ちることが多いと言われています。脱臼してしまった時の緊急処置
https://kitaadachi-dent.or.jp/QA/QA_A23.html
再植がうまくいくためには歯根膜が生きていることが必要です。口の外に落ちてしまった場合には、すぐに拾い、軽く水洗(水道水なら三十秒以内)し、乾燥しないようにすることが大切です。最もよい方法は元の位置に戻してみることです。もし、抜けた歯を戻せない場合は、飲み込まないように唇と歯ぐきの間に入れて口の中に保存するか、すぐに牛乳が手に入るなら、牛乳の中に保存します。そして、できる限り早急に歯科医院を受診しましょう。
患者さんは脱落歯を牛乳につけており、本人もしくは救急隊が脱落歯と認識していたのでは?と思いますので、早急に歯科対応ができる病院があれば受診すべきだったのではないでしょうか?なぜ内科しかいない病院に搬送されたのでしょうか。救急搬送された詳細が知りたいところです。
では歯科救急は?
今回の患者さんは歯の脱落、下唇の出血が症状だったとのことです。顔面打撲だったのでしょうか?
外傷による頭部・顔面損傷で怖いのは脳内出血、クモ膜下出血、頭蓋骨骨折になると思います。それがない場合には命に関わりはないため、翌日専門科の受診を指示します。はじめに救急搬送時に歯の件が触れられていた場合、歯科診療はできませんがよいか患者さんに確認してくださいと言っていたのかはわかりません。ただ歯の問題は命には直結しないため歯科診療ができないから救急車を受けれませんとは言えない状況と思います。
おそらく3次救急では歯科救急の知識や対応はあると思いますが、2次救急以下では通常対応は困難です。かといって歯科のみで重篤な入院必要な救急患者とはいえません。
病院勤務の歯科医は少数
歯科救急を担うほどの数の歯科医は病院勤務していません。病院よりもクリニック勤務がはるかに多いのです。つまり歯科緊急対応ができる病院はほとんどないと考えてよいです。
厚生労働省HPの令和4(2022)年医師・歯科医師・薬剤師統計の概況(chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/ishi/22/dl/R04_kekka-2.pdf)より図を転載します。「診療所」勤務は「医育機関附属の病院」+「病院(医育機関附属の病院を除く)」の8倍の人数となっています。
医学部・初期研修医で習うこと
医学部の講義の中には口腔外科の分野で口腔がんは含まれており、口腔外科の医師から関連した講義を受けたという記憶があります。歯の診療に関する基本講座はありませんでした。また5年生~6年生での病院実習では必須の実習の中に口腔外科や歯科は入っていません。医学生としては齲歯の診察や治療を見たことがありません。
初期研修医での必修でも口腔外科、歯科はありません。日常診療で歯科診療することは皆無です。健康は歯から!歯の定期検査していますか?骨粗鬆症治療前に歯科受診は必須!子供の歯科医選びは慎重に! に記載していますが、全身麻酔前に動揺歯がある場合は歯科受診、また骨粗鬆症治療の前にも抜歯適応歯がないか歯科受診を外来や入院で歯科受診をするようにしています。つまり自分では歯科の評価、診療はしていません。
医師は、医師免許を取得したからといって、歯科診療はできません。歯科医師ができるのは歯科医療のみで、医師は歯科以外の全身を診察します。つまり、歯科医師と医師はまったく違う種類の職業なのです。
https://karu-keru.com/info/dentist/dentist-doctor-difference
医師は歯科治療ができるのか?
この問題では時間外の救急搬送で内科医が対応しているが歯科治療や下唇の縫合が必要だったのかは判断ができないものの、医師として歯科治療ができるのかというと一般的にはできないが回答となります。
医師ができる医行為とは?
厚生労働省HPより医行為について、医師法を参照します。
医師法(昭和23年法律第201号) 第17条
医師でなければ、医業をなしてはならない。
解釈:医師法第17条に規定する「医業」とは、当該行為を行うに当たり、医師の医学的判断及び技術をもってするのでなければ人体に危害を及ぼし、又は危害を及ぼすおそれのある行為(「医行為」)を、反復継続する意思をもって行うことであると解している。
https://www.mhlw.go.jp/shingi/2003/02/s0203-2g.html
医行為の中で歯科については?
○医師法第十七条による医業の範囲に関する件(昭和二四年一月二一日)(医発第六一号)(各都道府県知事あて厚生省医務局長通知)
医師法第十七条の「医業」と歯科医師法第十七条の「歯科医業」との関係に関し若干疑義があるようであるが、抜歯、齲蝕の治療(充填の技術に属する行為を除く)歯肉疾患の治療、歯髄炎の治療等、所謂口腔外科に属する行為は、歯科医行為であると同時に医行為でもあり、従ってこれを業とすることは、医師法第十七条に掲げる「医業」に該当するので、医師であれば、右の行為を当然なし得るものと解されるから右御諒承の上然るべく指導せられたい。
厚生労働省HP https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00ta0933&dataType=1&pageNo=1
歯科医業も医業に該当し、医師ならば当然できるように解釈されるとなっています。できないわけではないですが、はじめの医業の医学的判断、技術をもって、反復継続する意思をもってというところに歯科的な判断、技術も反復継続する意思もなければ医業ではない・・・と思っています。
医師が歯科対応する場合は歯科研修を
つまり歯科研修を受けていれば医師でも歯科診療は可能なのです。南極地域観測隊越冬隊の医療隊員さんの歯科研修についてブログにされていましたので転載します。南極観測観測隊ブログ→https://nipr-blog.nipr.ac.jp/jare/20230828post-391.html
南極観測船「しらせ」には、歯科医師が同乗しているため、夏期間中は歯のトラブルが起きたとき相談することが可能ですが、越冬期間中は“歯科”医師が不在になります。隊員の歯のトラブルが起きたときは医師である医療隊員が歯科処置しなければなりません。日本国内では歯のトラブルに対して医師が歯科処置することはありません。
南極地域観測隊員は歯科を含む、厳しい健康診断を行い、治療が必要なことは治療をしてから、隊員になっています。ただし、健康診断の時は大丈夫であったとしても、その後、歯のトラブルが起きることがあり得ます。抜歯や研磨等の応急処置が必要であり、今回、医療隊員は南極の昭和基地にもある持ち運び可能な歯科治療ユニットを用いた歯科研修をしてきました。
また、南極で歯のトラブルが起きたとき、応急処置を行いますが、難しい症例に関しては日本国内の歯科医師に遠隔医療相談を行うことができます。ただし、遠隔医療相談を行うためにも、歯科医師との共通言語が大切であることを感じました。
ということで歯科診療に必要な知識、研修を受けていない医師は歯科処置はできません。救急医療を担う場合に研修をしてもいいのかもしれませんが、命に関わる症例についての判断トレーニングに時間を優先しては割きたいとは思います。
今後の救急現場の問題点にも
今回の件は救急搬送の際に歯科診療はできないため別に受診が必要なことを伝えて診療していたのかはわかりません。
ただ国内の前提として救急外来での歯科対応は難しいことを知っていただきたいと思います。このような訴訟が起きてくると歯科に関わる救急搬送を断るケースも出てくるのではと懸念はします。
最近医療訴訟を耳にしては、●●が起きたらから問題というようにその疾患の検査や治療に伴う合併症でも訴訟問題が起きています。そうすると診療する医師が消極的になったり、基礎疾患や高齢患者さんへの必要な処置もされなくなってしまうという事態が将来起きそうにも思います。